闘病中に心が病んだり、鬱な気分になったり、そうした所謂(いわゆる)凹み投稿のSNSが多い中で、明るく、楽しく、懸命に生きる姿を発信する人物は、同じく闘病する人達にとって、憧れであり、励ましであり、目標であったりします。
その「社会に好影響をもたらす人」が、ずっと闘病を続けていたり、回復したり、完治したり、何かしら好転した場合は良いのだけれど・・・
今回の様に亡くなってしまった場合、その「発信」を支えや 拠り所にしていた人達に対して、どんな「悪影響を与える」のだろうか?
その発信が、自身の生活の一部の様になってしまっていた分、余計に喪失感や絶望感が増すのではないのだろうか?
発信者の本意では無いにせよ、残された「受け取る側」は、前向きに事態を受け止められるのだろうか?
美談に寄せていこうとする報道や、SNSの投稿が多い中で、敢えて「陰の部分」を危惧してみたりするのは、自分自身が受け手ではなく 発信者側と言う自覚があるからで・・・
日々、出来るだけ辛いとか、キツイとか、苦しいとか、とにかくマイナスイメージを避けて投稿している事に、ふと疑問を感じたりしています。
僕の病も、決して好転も完治もしない訳で「最後の投稿のシナリオ」だけは自ずと予想がつく訳です。
それならば・・・(と、暫し思い倦ねてからの思考放棄の繰り返しなう)